株式会社shake hands
相互事業連携などを通じて、野球界への貢献や課題解決に向けた馬原氏の活動強化サポート
アスリートの活動やスポーツチームの経営サポート等を行なう株式会社shake hands(福岡市中央区、代表取締役:鴛海秀幸 https://shakehands-sports.com/)は、かつて福岡ソフトバンクホークスのクローザーとして、最多セーブのタイトルの獲得経験のある馬原孝浩氏とビジネスパートナーシップ契約を締結いたしました。
馬原氏は、かつて福岡ソフトバンクホークスの絶対的守護神として長きにわたりチームの勝利に貢献。現役引退後は、3年間の専門学校での学びを経て柔道整復師や鍼灸師の資格も獲得。現在は、経営者、球団GM、プロ野球解説者など多方面で活躍をしています。
今後、弊社では、馬原氏の個人活動をサポートするとともに、馬原氏が経営する整骨院と弊社野球レッスン事業での連携などを通じて、野球界への貢献、課題解決に向けて相互連携を図ってまいります。

【馬原孝浩氏のコメント】
かつて、プロ野球選手としてプレーしていた現役生活晩年は、自分自身の怪我や体の不調と向き合う日々でした。その頃から、引退後は、自分の感覚だけでなく、確かな理論を学び、アスリートのサポートをしていきたいと考えるようになりました。
プロ野球選手としての経験で得た感覚と、資格取得での学びから得た理論と技術、それらを掛け合わせた独自のケアを提供する場所として、2023年に整骨院を開院しました。現在は福岡県内で3店舗経営しています。
現役選手の皆さんが、少しでも良い状態で長くプレーを続けることができるよう、これからも自らを研鑽しつつ、整骨院の経営とメンバーの育成に励んでいきたいと考えています。
また、自分自身を育ててくれた野球界に貢献したいという想いから、地元熊本の独立リーグ球団「火の国サラマンダーズ」に携わっております。2025年度はGMとして活動しています。
同時に、プロ野球解説や野球教室などを通じて、野球の楽しさ、素晴らしさを伝えるべく日々活動をしています。
様々な活動を、しっかりと地に足をつけて活動していくためにも、今回のshake hands社とのビジネスパートナーシップを通じて、活動のサポートを頂ける環境ができたことは大変有り難く思っています。この環境を生かしてさらに成長していけるよう邁進していきたいと思っています。
【shake hands 代表取締役鴛海秀幸のコメント】
馬原孝浩さんとビジネスパートナーシップ契約を締結できたことを大変嬉しく思います。ホークスの守護神としての活躍は言うまでもなく尊敬の一言しかありません。ただ、それ以上に、馬原さんが引退後、柔道整復師、鍼灸師の資格を取得されていたことについて、以前から大変興味を持っておりました。
超一流のプロ野球選手として活躍された方が、引退後に3年間の学ぶという決断にはどのような想いがあったのか。お会いしてその理由をお聞きし、改めて人として尊敬できる方だということを、心から思いました。
馬原さんがこれから考えているビジネスのサポートもそうですが、今後の新たな夢の実現もお手伝いできたらいいなと考えています。
まずは、弊社がおこなうジュニア向け野球プライベートレッスン事業との連携などから一緒に取り組みことをスタートしていければと考えています。私自身も、野球界に育てて頂いた一人として、馬原さんと一緒に野球界への貢献を通じて、社会に役に立つ存在になっていきたいと思います。
【馬原孝浩氏とshake handsの今後の活動予定について】
・馬原孝浩氏がおこなう各種事業のサポート
・馬原孝浩氏が経営する整骨院事業と、shake hands社の野球プライベートレッスン事業との相互連携
・shake hands社の野球プライベートレッスン事業における馬原孝浩氏との共同事業の創出
・福岡、熊本などゆかりのある地域における野球を通じた共同での社会貢献活動の創出 etc.
【お問い合わせ】
担当:株式会社shake hands 松本
連絡先:matsumoto@shake-inc.com
馬原孝浩氏の出演やイベント企画のみならず、イベントのコラボレーションなど様々にご一緒頂ける方からのご連絡をお待ちしております。
【馬原孝浩氏プロフィール】
1981年生まれ。熊本県熊本市出身。熊本市立高校(現 必由館高校)ではエースとして活躍し、卒業後は九州共立大学へ進学。速球派右腕として注目され、2003年のプロ野球ドラフト会議で福岡ダイエーホークス(現:福岡ソフトバンクホークス)から自由獲得枠で指名を受け入団。
ルーキーイヤーの2004年は開幕一軍入りし、先発投手としてシーズンを通して活躍。2005年から守護神に転向すると、強気な投球と150km/hを超えるストレートを武器に活躍。2006年にはチームの抑えとして確固たる地位を築き、37セーブを記録し最優秀救援投手のタイトルを獲得。以降もホークスの絶対的クローザーとして活躍した。
2009年には攝津正、ファルケンボーグとともに勝利の方程式「SBM」を形成し、リーグ優勝に貢献。2010年にはチームの日本一にも貢献した。2011年には右肩の故障で戦線離脱するも、復帰後もブルペンの要として存在感を示した。
2012年シーズン終了後、オリックス・バファローズへトレード移籍。2013年はリリーフとして復活し、チームを支えたが、翌2014年は再び故障に苦しみ、シーズン終了後に現役引退を決断。
プロ通算11年間で登板499試合、182セーブ、48ホールド、防御率2.83を記録。ホークス黄金期を支えた守護神としてファンに愛された。
引退後はプロ野球解説者として活躍する傍ら、野球教室や講演活動を通じて、次世代の選手たちへ自身の経験を伝える活動を展開。指導者としても精力的に活動し、野球の魅力を広めることに尽力している。