株式会社ロクリン社
田中幹夫『いくさの少年期 1942〜1945』より、どうしても伝えたいことを絵本にしました。
2025年8月15日で終戦から80年を迎えます。
1941年に開戦した太平洋戦争。1945年8月、広島と長崎に原子爆弾が投下され終戦の日を迎えるまで、人々は戦禍に巻き込まれ、平穏な暮らしと数多の尊い命が失われました。
戦争を体験し、語ることのできる世代が高齢化した今、戦争体験を語れる最後の世代から、これからの日本をつくる世代へのメッセージとして、児童書の出版社であるロクリン社より、この絵本『ぼくが子どものころ戦争があった 「いくさの少年期」より』の一部を無料公開してご紹介します。

この絵本は、昭和8年(1933年)生まれの田中幹夫さんが書いた『いくさの少年期 1941〜1945』(文芸社)という本を、絵本にしたものです。
「日本は神国。絶対に勝ちます」と始まった太平洋戦争。
南方を植民地にして豊かになるはずが、暮らしはみるみる貧しくなり……たった4年で、大切なものも人も、いやおうなしに奪われていった田中幹夫少年の実話です。
今はさまざまな記録映像で当時を客観的に見ることができますが、この絵本からは、当時の「少年」が実際に見たこと、聞いたこと、考えたことを通して、「戦争に巻き込まれていく」リアルな空気感がひしひしと伝わってきます。
世界や日本が大きく揺れ動いている今、この戦後80年という機に、当時を知り、今と比べ、そして考えるきっかけの一つとしてください。
絵本からの抜粋












「ぼくたちは、戦争のない国を作ります。きっときっと、作ります。」
そう決意した田中少年は、大人になって人権派の弁護士となり、子どもたちや障害者の味方になって、多くの裁判を戦ってきました。
「あとがき」から
戦争が始まってたった4年間で世の中がみるみる変わっていくようすをみて、みなさんはどう思われたでしょうか。このお話は、 紙芝居にもなっています。
日本が戦争をしていた昭和の時代、紙芝居が大量に刷られて、日本中の学校に配られ、「軍国教育」 に使われました。そのため、多くの子どもたちが 「大きくなったら兵隊さんになって、お国のために戦う」 と心に決め、「軍国少年」 になっていったのです。そして、戦争に行き、「敵」 を攻撃し、自らも命を落としました。
この絵本と、紙芝居 「いくさの少年期」(京阪奈情報教育出版)が、戦争のない日本と平和な世界を作るために役立つことを、願ってやみません。みなさん、どうか、絵本も紙芝居も、すり切れるまで、存分に使い倒してください。
大切な記録を残してくださった田中幹夫さん、すばらしい絵を描いてくださった真野正美さん、制作に協力してくださったたくさんのみなさんに感謝します。
寮 美千子
戦争の絶えない21世紀、平和な日本を作るために、ぜひご活用ください。子どもばかりでなく、大人同士で語りあう素材としても役立ちます。
書籍のメディア等でのご紹介、絵の使用、献本のご希望、寮 美千子さんへの取材のご依頼などは、お問い合わせください。
『ぼくが子どものころ戦争があった 「いくさの少年期」より』
書誌情報

原作 田中 幹夫
文 寮 美千子
絵 真野 正美
ISBN 978-4-86761-020-6
定価 本体2,200円+税
判型 AB上
頁数 64
発行日 2024/07/11
著者プロフィール
田中 幹夫(原作)
弁護士。1933年福井県生まれ。福井空襲、福井地震を体験。2003年、障害者虐待の「サン・グループ事件」で画期的な勝訴判決をかちとる。日本子どもの虐待防止学会名誉会員。『いくさの少年期 1941~1945』(文芸社)は、子どもの目からみた戦争体験を、すべて実話にもとづいて構成した自伝的小説。
寮 美千子 (文)
作家。1955年東京都生まれ。1986年に毎日童話新人賞、2005年に泉鏡花文学賞を受賞。1990年代、衛星放送ラジオ「セント・ギガ」に600編以上の詩を提供。幼年童話から絵本・純文学・ノンフィクションまで幅広く執筆。2006年より奈良市在住。
真野 正美 (絵)
画家。1958年大阪府生まれ。カーデザイナーとしてトヨタ自動車に勤務ののち、帯広市郊外に移住して画業に入る。六花亭が60年以上にわたって刊行している月刊児童詩誌『サイロ』の表紙画を坂本直行氏から引き継ぎ、2010年より担当。2017年、中札内美術村に「真野正美作品館」が開館された。
株式会社ロクリン社
株式会社ロクリン社は「こびとづかん」シリーズや「名画で遊ぶ あそびじゅつ」などの児童書や、「世界はもっと美しくなる」など文芸書を手掛ける出版社です。
公式サイト https://www.rokurin.jp/