株式会社東急文化村
第35回(2025年度)Bunkamuraドゥマゴ文学賞が、最相葉月氏の選考により、川内有緒氏『ロッコク・キッチン』に決定しました。
1990年の創設以来、Bunkamuraドゥマゴ文学賞は、毎年かわる「ひとりの選考委員」によって受賞作を決定してまいりました。第35回となる2025年度の選考を務めたのは最相葉月氏です。
受賞作に選ばれたのは、川内有緒氏『ロッコク・キッチン』。最相氏による選評も公開、ぜひご高覧ください。


名称 |
第35回Bunkamuraドゥマゴ文学賞 |
受賞作 |
『ロッコク・キッチン 浜通りでメシを食う』 |
受賞者 |
川内有緒(かわうちありお)氏 |
選考委員 |
最相葉月(さいしょうはづき)氏 |
賞 |
正賞:賞状+スイス・ゼニス社製時計 |
主催 |
株式会社東急文化村 |
【受賞作内容】
福島第一原発事故から13年が経過した福島県の浜通り。人の暮らしが戻りつつあるその地で暮らす人は、いまどんなキッチンで、何をつくり、誰とどんなものを食べてるんだろう?国道6号線・通称ロッコクを旅して探した、温かくておいしい記憶の数々。「食」を通じて暮らしや人生を描く新しい生活史。
※連載に書き下ろしを加えた単行本『ロッコク・キッチン』が講談社より2025年11月20日頃刊行決定。あわせてドキュメンタリー映画『ロッコク・キッチン』も今秋、プレミア上映予定。

【受賞者プロフィール】
川内有緒(かわうちありお)
ノンフィクション作家。1972年東京都生まれ。アメリカ、南米、フランス、日本を転々としながら12年間国際協力分野で働いた後に、フリーランスの物書きに。東京を拠点に評伝、旅行記、エッセイなどを執筆。『バウルを探して 地球の片隅に伝わる秘密の歌』で新田次郎文学賞、『空をゆく巨人』で開高健ノンフィクション賞、『目の見えない白鳥さんとアートを見にいく』でYahoo!ニュース|本屋大賞 ノンフィクション本大賞を受賞。ドキュメンタリー映画『目の見えない白鳥さん、アートを見にいく』共同監督。

【選考委員プロフィール】
最相葉月(さいしょうはづき)
1963年東京生まれの神戸育ち。関西学院大学法学部卒業後、会社勤務を経てノンフィクションライターに。音楽、スポーツ、生命科学、災害、精神医療、宗教などをテーマに取材執筆。1997年『絶対音感』で小学館ノンフィクション大賞、2007年『星新一 一〇〇一話をつくった人』で講談社ノンフィクション賞、大佛次郎賞、08年日本SF大賞、日本推理作家協会賞、星雲賞、2024年『証し 日本のキリスト者』でキリスト教書店大賞。
[選評]あつかましい/選考委員 最相葉月
第35回Bukamuraドゥマゴ文学賞は、川内有緒さんの『ロッコク・キッチン』に決定した。ただし、選考期限の二〇二五年七月末現在、本はまだない。文芸誌で連載が始まったとき、福島第一原発事故後を描くのにこんな方法があるのかと驚き、最終回まで見届けなければと思った。ただ、隔月掲載なので期限までに終わらないかもしれない。ほかの候補作も探すため書店を歩き回り、文芸誌や近頃流行りのZINE、投稿サイトなどさまざまな文章に目を通して候補作を絞り込みつつあった。
そして迎えた七月。文芸誌を開くと、なんと連載が最終回とある。よかった、間に合った。単行本化にあたっては加筆修正が行われるだろうが、それをふまえてもなお本作は「先進性と独創性のある、新しい文学の可能性」を問う本賞の精神に叶うと考える。
「ロッコク」とは、東京・日本橋を起点とし、千葉、茨城、福島を経て宮城県仙台へ至る国道6号線を指す。東日本大震災と福島第一原発事故後、富岡町から双葉町間で通行が制限され、車の全線通行が可能になったのは二〇一四年、自転車や徒歩での通行が可能になったのは二〇二二年のこと。『ロッコク・キッチン』は突然故郷を奪われ、長い避難生活の末に戻った人やこの地に新しく移住した人々の声から成るノンフィクションで、副題に「浜通りでメシを食う」とあるように、食問題に揺れたこの地で抱いた、「みんな、なに食べて、どう生きてるんだろ?」という疑問が出発点である。
普通に取材するのではない。まずロッコク沿いに暮らす人々から食にまつわるエッセイを募り、エッセイ集を編む。その書き手らを訪ねて話を聞き、手料理を食べ、写真を撮り、映画を作るという、総勢五名のスタッフによるプロジェクトだ。川内さんはその企画者・編者・共同監督であり、本作の著者である。本作はいわばプロジェクト全体を貫く太い幹であり、食卓という暮らしのど真ん中に直球を投げ込むジャーナリスティックな視点をもちながら、さまざまな文学作品や映画、アートの記憶を重ね、これを時代や国境、果ては地球という惑星を越えた普遍的な物語に昇華させようという強い意志を宿している。
四十年ぶりに双葉町に戻ったウメコさんが作る祖母直伝の「いのはなごはん」。浪江町で働く、インド出身スワスティカさんの「チャイ」。ニュータウン化が進む地区で古い家を守る渡辺さんの「具だくさんの味噌汁」。中国出身の大竹さんが二羽の鶏でじっくり出汁をとった「中華丼」、昼間は原発作業員、夜は本屋を営む武内さんと食べる「クラムチャウダー」。人々の声に耳を傾けるうちに、放射能とセットで語られてきた土地が息を吹き返していく。愛する人との別れや戦争の傷跡、心の病、避難生活の困難などそれぞれの闇が垣間見えるが、食卓を囲めば光が射し込む。
普通、取材先で食事をいただくのは遠慮するものだが、川内さんはスタッフ共々ごちそうになる。そういう企画とはいえ、少々あつかましい。だが、ふるまい与える側に立ったからこそ、ずっと閉じ込めていた言葉が人々の口からほとばしり出たのではないか。食は、これまでさんざん「弱者」と呼ばれてきた人々と取材者の立場を逆転させたのかもしれない。
草の根の伝承館を営む中筋純さん曰く、「震災を機に短歌や詩を作り始めた人も多いよ」。本作にはそんな短歌や詩がところどころ引用されており、読むうちに、個の語りが文化や共同体の感性を守り、継承する機能をもち始めていることに気づかされる。
これまでノンフィクションの仕事をしてきて、土着とは普遍の対極にあるのではなく、媒介者の力で普遍性をもちうると感じてきた。川内さんが聞き取った孤独な語りも、積み重ねてみれば深い場所でみんな手を繋いでいる。「アローン・トゥゲザー(alone together)」、孤独だけど、孤立してはいない。川内有緒版の新しい「ロッコク地図」を頼りに、私も旅に出たくなった。

【Bunkamuraドゥマゴ文学賞とは】
パリの「ドゥマゴ賞」のユニークな精神を受け継ぎ、1990年に創設。権威主義に陥らず、既成の概念にとらわれることなく、先進性と独創性のある、新しい文学の可能性を探りたいと考えています。受賞作は、毎年交代する「ひとりの選考委員」によって選ばれ、選考委員の任期は1年です。
次回、第36回(2026年度)選考委員は荒俣宏氏です。